教えのやさしい解説

大白法 627号
 
血脈の尊崇(けちみゃくのそんすう)
 一、血脈相承とは
 血脈とは、仏法が師匠から弟子へと正しく伝えられていくさまを、親子の血統や、人体に血管が流れ連なることに例えて表した言葉です。仏法とは仏の悟られた、一切衆生を救済する根本の教えですから、これを後世(こうせい)に正しく伝えることが何より大切であり、これを相伝(そうでん)あるいは相承(そうじょう)と言います。
 釈尊の仏法は滅後、付法蔵(ふほうぞう)と呼ばれる弟子によって次々に付嘱され、後世に正しく伝えられました。また日蓮大聖人は、仏法流伝(るでん)の正統として三国四師(さんごくしし)を御教示されています。この三国とはインド・中国・日本であり、四師とは釈尊・天台・伝教、そして日蓮大聖人を指します。

 二、本宗の血脈相承
 @ 大聖人における相承
 大聖人は竜口(たつのくち)法難の後、佐渡期以降において、御自身が霊鷲山(りょうじゅせん)にて釈尊より付嘱を受けられた地涌(じゆ)の上首(じょうしゅ)・上行(じょうぎょう)菩薩にましますことを明かされました。これについて第二十六世日寛(にちかん)上人は、大聖人の外用(本体・本意という内証を隠して外面に表れる姿・作用のこと)は上行菩薩の再誕であるが、その御内証(ごないしょう)は本因妙の教主たる久遠元初(くおんがんじょ)自受用報身如来であることを御指南されています。この久遠元初本因妙の教主たる大聖人の一期(いちご)御化導(ごけどう)の究竟(くきょう)である本門戒壇(かいだん)の大御本尊こそ、血脈相承の根本の法体(ほったい)なのです。

 A 唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈相承
 大聖人は御入滅に当たり、二箇(にか)の相承をもって第二祖日興(にっこう)上人へ御自身の仏法の一切を相承されました。すなわち本門戒壇の大御本尊をはじめとして、法体と法門の両義を余すところなく日興上人へ付嘱(ふぞく)されたのです。
 法体とは、末法の御本仏日蓮大聖人の御内証たる本門戒壇の大御本尊の御事であり、日興上人が大聖人から本門戒壇の大御本尊を身に宛(あ)てて賜り、一器(いっき)の水を一器に瀉(うつ)すがごとくに、その御内証を一身に受け継(つ)がれたことを「法体相承」と言います。
 また大御本尊の法体とともに、下種(げしゅ)仏法の法義は日興上人へ余すところなく相伝されました。大聖人の宗旨(しゅうし)の深義(じんぎ)が、口伝(くでん)や筆授(ひつじゅ)によってとどこおりなく日興上人に伝承されたことを「法門相承」と言います。
 さらに、この法体・法門の両相承は日興上人より第三祖日目(にちもく)上人、日目上人から第四世日道(にちどう)上人と順次に承継され、御当代御法主上人に至っています。この唯授一人の血脈相承こそ本宗(ほんしゅう)宗旨の根幹なのです。

 B 三宝と血脈
 日寛上人は『当流行事抄』の中で、末法の御化導における法体の下種三宝について、「仏宝は日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は日興上人(趣意)」と御指南されています。この法体の三宝に対する絶対の信こそが本宗信仰の根本です。
 この法体の三宝に対し、下種三宝の法体を末法万年に伝持(でんじ)される日目上人以来の歴代(れきだい)の御法主(ごほっす)上人は、外用(げゆう)の辺は「住持の三宝」の意義における僧宝の御立場と拝します。内証(ないしょう)の辺では仏・法・僧の三宝は一体ですから、御歴代上人の御内証の血脈は、法体の三宝と一体不二(いったいふに)の尊体にましますのです。故に御法主上人はその御内証の上から、御本尊書写の権能(けんのう)を持たれるのです。法体の下種三宝に深く帰依(きえ)し奉るとともに、三宝伝持の血脈の御法主上人に信伏随従(しんぷくずいじゅう)し奉るところに成仏の大功徳が存するのです。

 C 本宗僧俗における血脈
 本宗の信仰においては、唯授一人の血脈相承を根本とし、その上で僧俗の信心における血脈の意義を弁(わきま)えなければなりません。御本尊を強盛に信じ、御本尊の法体の血脈を伝持する下種三宝に帰依することによってのみ成仏の血脈が流れ通(かよ)うのであり、これを「信心の血脈」と言います。
 また本宗の信心には「師弟相対」という大切な筋目(すじめ)があります。すなわち手続(てつぎ)の師たる歴代の御法主上人のところには大聖人の御法魂(ごほうこん)がもぬけられており、これを信じて師弟相対の信を取ることにより成仏が叶うのです。また御法主上人の御命(ぎょめい)によって各地に赴(おもむ)き、法を弘宣(ぐせん)する僧侶にも手続の師の意義が存します。
 法体の血脈を所持あそばされる嫡々付法(ちゃくちゃくふほう)の御法主上人に対し奉り、信の一念をもって師弟の筋目を正すと共に、御法主上人に信伏随従する末寺の御住職を直接の手続の師として信心に励むことが大切です。

 三、血脈誹謗(ひぼう)の異流義(いりゅうぎ)
 古来、血脈に背反(はいはん)して異流義を唱え、謗法に堕する輩(やから)が後を絶たないことは、まことに悲しむべきことと言わなければなりません。大聖人御入滅後、日ならずして師敵対(してきたい)の謗法を始めた五老僧をはじめとして、近年では「血脈二管論」なる邪説を唱えた自称・正信会、そして『ニセ本尊』の作製という大謗法を犯した創価学会に至るまで、すべての異流義に共通するのは、大聖人から日興上人へ、さらに日目上人、歴代の御法主上人へと法水瀉瓶(ほっすいしゃびょう)される金口(こんく)嫡々の血脈相承を否定するということです。これらが大聖人の大慈悲の御化導に敵対する大謗法であることは言うまでもありません。

 四、血脈と広宣流布
 広宣流布とは、三大秘法の大法が全世界に広まり、下種仏法における信心・修行が広く世に行われ、その利益(りやく)の姿が広く顕れることを言います。しかしあくまでも、血脈を根本とした正しい教えが広まるということでなければ広宣流布とは言えないのです。
 今日、御本仏(ごほんぶつ)日蓮大聖人の大法は、血脈付法の第六十七世御法主日顕上人(現在は、第六十八世御法主日如上人)が御所持あそばされています。その仏法の血脈に末法万年の広宣流布の源が存することを、我々僧俗は深く拝し、総本山根本の信心に立つことが何よりも大切です。
 そして、「平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の大佳節には「地涌倍増」の御命題を完遂し、さらに末法万年、未来広宣流布のために、日々の勤行・唱題を根本に折伏弘教に精進することが肝要なのです。